久しぶりの邦画鑑賞。
電通のCMプランナーで、短編映画「そうして私たちはプールに金魚を、」でサンダンス映画祭ショートフィルム部門で日本人初のグランプリを受賞した経験を持つ長久充監督の長編映画デビュー作。
★ウィーアーリトルゾンビーズ
監督・脚本:長久充
キャスト:二宮慶多、水野哲志、奥村門土、中島セナ
◆予告編◆
◆あらすじ◆
事故や事件で両親を失った4人の13歳、ヒカリ、イシ、タケムラ、イクコ。
ひょんなことからバンドを組むことになった4人は、人生という名の冒険と音楽を通して心を取り戻していく。
◆感想(少しだけネタバレあり)◆
子供たちが世界と出会い、自分を受け入れていくまでの映画ってこれまでにも様々な傑作があったと思います。
私が大好きなのはこの3作品。
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この3本に共通しているのは、両親や近しい人の死、いじめなどの現実世界の苦悩から「逃げ込む場所」を持っていた子供たちが、少しづつその世界と現実とを繋げることを受け止め、その方法を見出し、一歩を踏み出すというお話である点。
その時、「逃げ込む場所」は空想の世界であったり、映画の世界であったりしますが、そこは映像的ギミックを凝らして表現されることで確固たる「別の世界」として存在し、だからこそその世界と現実とを繋げていく過程がドラマチックな成長物語として描かれるのです。
だけど、「ウィーアーリトルゾンビーズ」は違う。
ゲーム好きの主人公ヒカリは、両親を事故で失ってもゲームの世界に逃げる事はなく、そしてその世界と現実とを繋げることで成長するわけでもなく、現実の世界そのものをRPGゲームの世界として脚色し、攻略しながら淡々と生きている。
この「世界との向き合い方」の違いはどこから来るのでしょう。
もちろん、監督の作家性や原体験が大きいとは思います。
だけど、そもそも原体験として現実をこう捉えていた長久監督と、前述した3つの物語の創作者である海外の作家・監督との間には、もしかしたら国民性や時代性の違いもあるのかもしれません。
海外作品では「空想の友達」という存在が割と一般常識的なレベルで物語の中に登場するし、ある意味「現実の駆け込み先」としての「ファンタジー世界」をベースとした物語が市民権を得ている背景には、「現実」と同じくらい「空想世界」とそこに生きるキャラクターたちの存在に、共通認識としてのリアリティと存在理由があるのではないかと思います。
個人的には「宗教」と「神話」の存在の違いが大きいのでは?と思ったのだけど、このへんはちゃんと勉強してみたいな。
何はともあれ「ウィーアーリトルゾンビーズ」の主人公ヒカリは、ゲームの世界に逃げるのではなく、現実世界をゲーム世界的に脚色して攻略しながら突き進んでいきます。
貧しい人には、人に配る愛さえない。(ちょっと言い回し違うかも)
絶望?ダッセ。
エモいって、古っ。
デフォルトで孤独。
もうすぐエンドロールなのに何も思わないね。
そんなキャッチ―で刺さりまくる台詞の数々。
デフォルトで孤独なら、誰かと向き合うからこそ生まれる「感情」とかいうやつなんていらないじゃん。意味ないじゃん。
そうして13歳まで生きてきた無表情・無感情の4人は、両親の死という出来事が大ボスとの対戦となるはずもなく、曲が売れて大ブレイクしたってそれがエンディングになるはずもなく、ただひたすらに人生をコンティニューしていく。
凄く今っぽいというか、リーマンショック後の日本で「素晴らしい人生を夢見る」ということの無意味さを知ってしまった子供たちだからこそ、諦めでも達観でもなく事実としての最適解として「自分の人生の舞台はここにしかないのだから、ここで起こる事をクリアしながら生きていくか」とする生き方が、凄く今の日本の若者的で現実的な観方だなあと思います。
彼らが「感情」に出会うまでの話でありながら、「ヒカリ ハ カンジョウ ヲ テニイレタ」とかは出さない。
結論に着地しない、成長物語としてドラマチックに描かない、死をエンタメ化しない、その「エモいって、古っ。」を地で行くような物語と表現の先に、それでもエモくてたまらない彼らの人生が見えてくるのが非常に面白い作品でした。
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長久監督のCM出身監督らしいキャッチ―でギミックたっぷりな演出は、好みの分かれる所かもしれません。
個人的には、やりたいことはわかりつつもちょっとギミックによりすぎたかなあと感じる所はなきにしもあらず。
ただ、前述したように台詞のセンスが炸裂しまくっていて、脚本も手掛ける映像作家よりの監督として、なかなかに面白くて素敵な存在が登場したのは単純に嬉しいし、日本映画界で新人監督のオリジナル作品がこういった形で公開されるのは大歓迎。
「湯を沸かすほどの熱い愛」で長編デビュー作×オリジナル脚本ながら物凄い傑作を放った中野量太監督と同様に、今後も応援して行きたい監督になりました。
そして4人の子役がとても良かった!
主演のヒカリを演じる二宮慶太くん、やっぱり一人だけ飛びぬけて演技が上手くて、短調で一本調子の台詞まわしながら、絶望でも達観でもないヒカリの人生観をあの無表情な中から感じさせていてやはり凄い子役だった。
「そして父になる」の福山雅治の子供役のあの子です。
特筆すべきはイクコ役の中島セナちゃん。
無表情、棒読み台詞、座りがちな目つき、ぶっきらぼうな物言い、醸し出すサブカル感。
なんでしょう、新時代のクイーンが出て来ちゃった感がありました。
彼ら含む4人の掛け合いのテンポ感の良さも、本作の魅力の一つ。
(そこにするっと入ってこれる池松壮亮の凄さも合わせて伝えておきたい)
あと、忘れてはいけない楽曲の良さ!
中盤で登場する「♪ウィ~ア~、ウィ~ア~、リトルゾンビーズ」というサビのこの曲の耳への残り方。
「ない」ものを連ねるこの楽曲が、それでも絶望に満ちていないのが素敵。
絶望?ダッセ。
※画像は全て映画.comより引用