ついに終わってしまいましたね…、「ゲーム・オブ・スローンズ」完結。
なかなか纏まらなかった想いが、ようやく落ち着きついてきました。
GOTファイナルナイト、TOHOシネマズ六本木スクリーン7という日本最大級サイズのスクリーンで観るゲースロは、この小さなパソコンの画面で見るのとは比べ物にならない迫力がありました!
そしてきっと、日本(と北朝鮮)だけ流行らないと言われ、友人知人に布教してはグロい・エロい・長い・キャラ多い、などと言われながらも、その面白さを信じ続けてきた生粋のファンであろう数百人の方々と一緒に観るという感慨深い体験。
デナーリスとドンダリオン、サーセイとセプタユネラのコスプレの方なんかもいらっしゃって、スクリーンに向かう通路にはかっこいいパネル展示があったりして、何より夜の王との2ショットサービスが大繁盛していたりして(笑)、最高に素敵な空間でした。
まずはスターチャンネルさんに大感謝。
GOTドキュメンタリー配信までとりあえず契約継続します!
※ここからネタバレあります※
待ちに待った本編。
実は、初見の感想としては「最終回としてはちょっと弱いかも?」でした。
そしてそんな第6話はそれこそ世界中で賛否両論渦巻く大論争になっています。
ただ個人的には、数日経ってじわじわと「これで良かったんだ」と思う部分が大きくなってきました。
◆ティリオン
知略家として、愛するシェイと南の島で生きるという可能性を退けてまで「俺は悪い奴らを扱うのが得意だ。彼らを出し抜いて生きるのが俺なんだ。それが何より好きなんだ」と自負していたティリオンが、「自らを過大評価していた。何が正義かわかっていなかった。」と認めたうえで、改めて“王の手”としての人生を歩み始める姿には、ティリオンに託された制作陣からの温かいメッセージを感じました。
前回書いたようにデナーリスの素質としてそもそも存在していた暴力性に、周囲が生んだ孤独、サーセイが生みつけた憎悪、ジョンの裏切りなど様々な要因が積み重なってあの虐殺が起きた中で、ティリオンにも「彼女を信じようとしてしまった」「彼女を導けると思っていた」という罪の一旦があることを彼自身が認めています。
人々が剣の訓練をする間、書を読み歴史と知識を学ぶことで自身の強みを磨き続けてきたティリオンは、王都での魅力や活躍ぶりに比べ、S5以降デナーリスの元に至ってから精彩を欠いていたように感じていました。
その時彼は、炎の中を生き延びドラゴンに騎乗する女王という“奇跡”を目撃し、そんな彼女に女王の手として仕えることで“自らも奇跡の物語の一部になる”ことを達成してしまい、何よりも自分が得意とする「学び続けること」がおざなりになっていたのかもしれません。
「導ける」と思っていた相手が持っていた「私は世界を統べる運命にある」という物語。その強すぎる輝きが、彼の智慧をも飲み込んでしまっていたのかも。
そんなティリオンの払った大きすぎる代償は、彼が愛していたあの美しく堕落した王都の崩壊と民たちの虐殺、そして愛する兄姉の死。
瓦礫の中に寄り添うように横たわる2人の遺体、画力が強すぎて辛かった…。
だけど、自身の驕りに気づき、大きすぎる代償に傷つき、それでも王都への愛を持つティリオンがジョンの心を動かせるあのポジションにあの瞬間に居たことが、本作の終焉にとって必要なことだったのでしょう。
多くを失ったけれど、彼は書を読む以上にこの出来事から多くを学び、また学び続けてくれるのだと思う。
かつては小評議会に一番最後に入ってきてはすぐにワインを飲んでいたような彼が、一番に部屋に入り、椅子の向きを正し、緊張した面持ちで面々を待ち構える場面。
サムの書いた「氷と炎の歌」に名前が載らなかった彼は、そんなまだまだな自分と向き合いながら、この先もウェスタロスで頑張ってくれるはず。
あの素敵すぎる評議会の面々と共に。
(ブロン、町の食事処に居合わせた傭兵から財務大臣へ、ちゃっかり一番出世してる!!)
余談ですが、、、
ティリオンがデナーリスについて色々と語る場面、「彼女が現れれば悪人は死んだ。みなが彼女を応援した。彼女は力を増すほど自分が正義だと確信した。」というような一連の語りセリフ、正直最初は語らせすぎでは?と思っていました。
視聴者が個々に感じ取るであろう事を、直接的にキャラクターに語らせることは、脚本術としてはあまり良いとは思っていないので。
だけど、現に世界で巻き起こった「最終章作り直せ署名サイト」の存在や、デナーリスが闇堕ちしたことへの「急に悪役にしないで!」といった意見をみると、制作陣も彼女の輝かしい物語の強度を正しく見積もれているか不安があったのかもしれません。
視聴者にもティリオン同様「彼女は偉大。きっと良い世界を作る」とあの瞬間まで思わせてしまう魅力、ふとした瞬間の台詞や個人の善悪観で全てをドラカリスで解決するという彼女の残虐性への気づき、どちらも同様に制作陣が最後の闇堕ちへ向けて積み重ねてきたものではありますが、前者の威力が想定以上に強すぎた。
個人的には納得いく形で散りばめてきていたと思っている派ですが、そこに制作陣が自信がなかったからこそのあの台詞なのかも。
(そしてあの世間の反応をみるに、入れておいて正解だったのかも)
◆ジョンとデナーリス
最終話で冒頭ジェイミーとサーセイの遺体が出てきた時の画の衝撃度が高すぎて、本シリーズの中での「運命のカップル」と言われたら完全にあちらに軍配があがると思っている人間からすると、ふたりの「カップル感」はもう一歩リアリティに欠けていたなと思っています。
ジェイミーとサーセイで言えば、ニコライはもちろんやっぱりレナ・ヘディがシリーズ通して演技力で秀でており、サーセイの複雑怪奇な内面と女王となる過程の描写、ジェイミーとの破滅的な関係の説得力にただならぬものがありました。
デナーリスで言えば、ジェイソン・モモア演じるカール・ドロゴとのカップルが、キャラクター同士の共鳴度にしても演者同士の相性にしても最高だった上に、ダーリオ・ナハリスやジョラー・モーモントという「彼女を何よりも愛してくれた人たち」を(そしてそこに演技以上の情をみせるイアン・グレンを)見てきているため、ジョンが、キット・ハリントンが「愛しています、マイクイーン」という度にどこかむなしさを感じてしまっていたのは事実。
イグリットとの時は感じなかったんですけどね。
あれはもしかしたら「多くの男に愛され、奇跡の存在としての自身を信じすぎたデナーリスにもたらされた代償」という解釈の描写なのかも…?
事実、血縁関係が判明したところで距離とられちゃってるしな…。
いやでも、ジョンからアプローチしていたわけだし、「愛は義務を殺す」だし、キット・ハリントンの演技力がもう少し高ければ…ごにょごにょ。
でも彼女を刺したことを「正しかったのか?」と悩むジョンの姿をみるに、 そこに至っても主体性なくティリオンの言葉で動かされた可能性が高いとすると、物語上ドロゴやダーリオ、ジョラーのような揺るぎない愛を持つ相手が傍にいては成り立たなかったのかもしれませんね。
さて、それでも最終章最後の2話のデナーリス/エミリア・クラークの堕ちた女王としての演技はとても良かった。
彼女本人はもちろん、彼女を演出するスタッフの気概もすごく感じました。
まるでナチス国旗のようなデザインのターガリエン旗がはためく暗黒の広場。
オレナの助言通り「Be a Dragon」となり、翼をはためかせて登場するデナーリス。
長く伸び複雑に編み込まれたプラチナブロンドは、ドスラクの基準でも女王となった証であり、ダークグレーのドレスに映える映える。
高揚した表情、ドスの利いたヴァリリア語での演説。
誰もが興奮したであろう、S3での親方を欺きアンサリードを獲得したシーン。
彼女の物語が大きく踏み出した、視聴者が彼女の「解放」に胸躍ったあのシーンと呼応するかのように描かれる、望まざる「解放」の帰結点。
「まだ存在しない世界をみるのは難しい。だけど私は善を見極められる。他のものには選択肢はない。」
これまたS2E10での黒魔術師の館のシーンと呼応するように描かれる玉座の間で、そういった彼女は玉座に座る事なく愛する人に刺されて亡くなった。
彼女は善を見極められなかった。
いや、自身の中の善だけを信じ、善とは何かを広く学ぶことをしようとしなかった。
彼女の存在、彼女が辿った人生、そして彼女とサンサとの比較こそが、ドラマとしての「ゲーム・オブ・スローンズ」が観客に突きつけたメッセージだと私は思っています。
◆サンサとスターク家の子供たち
北の独立を宣言し、Queen in the Northとなったサンサ!!!
これほど嬉しい展開はありません。
しかも、既存の玉座を奪取するのではなく、民と共に自身の世界を改めて構築していくための新しい「王座」の創出。
美しい衣装をまとい、かつての誰かを真似した華美なヘアスタイルではなく、ただまっすぐに流れる美しい赤い髪に王冠が乗せられた瞬間、なんだか涙が止まりませんでした。
荘厳ながら慎ましい、大狼のデザインがほどこされた王座。
ソフィー・ターナー本人はもちろん、彼女を演出する衣装、ヘアメイク、照明、音楽…すべてのスタッフさんの気概が詰まった戴冠式シーン。
新時代を切り開く女王として、対峙してきたあらゆる人々から学び、現実をよく観察し、ただのお姫様に憧れる少女から人々を導き守る当主として生きることを見出したサンサこそ、「ゲーム・オブ・スローンズ」の「どう生きるか?」というメッセージが凝縮されたキャラクターなのではないでしょうか。
一つだけ気になるのは、「ブランはどこまで知っていたのか?」。
かつて彼がみたビジョンの中に、既に「上空を舞うドラゴンの影がさす王都」のビジュアルがありました。
つまり、彼はデナーリスの襲撃も、ジョンによる刺殺も、自分の即位もビジョンとして観ていた可能性が高い。
とすると、自身が王位につくルートもすべて知っていた上で、意図をもって出生の秘密を伝えたのではないか?
どこの段階から彼は王位につくことを見越して動いていたのか、また振り返る面白さがありそう。
彼がティリオンに推薦され「だから僕はこの場にいる」と受け入れたとき、ティリオンは「この世で物語以上に強力なものはない」という理由でブランを推したけれど、むしろそれは反語的なもので「だからこそ、事実を見通せる“番人”としての王が必用だ」という意味だったのだと思っています。
「物語」だけでいえば、ティリオンにも、サンサにも、ジョンにも、そして何よりデナーリスにこそ強く感じられる要素。
そういったものに踊らされてきた世界だからこそブランを選択したのだと思うけれど、ではブランはどこまで“番人”としての存在に留まり、自身の主張を排除してきたか、この先“番人”として統治できるのか、そこは色々と考える余地があるかもしれません。
(これを、現代のGAFAなどのプラットフォーマーが個人情報を持ち強大化する世界を暗喩しているのでは?と言っている方がいて、それはちょっと興味深かった)
アリアについては・・・まだ納得し切れてないのでお預け。
どうしてもこれまでの修行描写の分量に対して、サンダーの「命を大切にね」で収まるはずがない、e5の思わせぶりな白馬といい、デナーリスを睨む目つきといい、回収不足と思ってしまう・・・。
◆王の盾総師・ブライエニー
最終章でもっとも脚本に愛されたキャラクターはブライエニーだと思う。
長年のささやかな愛の結実と離別、騎士としての叙任、そして王の盾への就任。
王の盾として引き継がれる、ジェイミーとブライエニーの騎士道。
ウェスタロスの人々にとっても視聴者にとっても、ジェイミーには「サーセイの相手」という側面が強すぎたけれど、そんな彼の果たした事、果たせなかった事をブライエニーほどちゃんと見ていた人はいないのだと思う。
「兄弟の書」の彼のページだけが真っ白だと揶揄されたジェイミーの尊厳を、ゆっくりと言葉を選びながら加筆し埋めていくブライエニーの敬意、ジェイミーの騎士としての尊厳をせめて書の中で守ろうとするブライエニーの優しさに涙が止まりませんでした。
彼は狂王を背中から刺して殺したかもしれないけれど、最後には「彼の女王を守って死亡した」。サーセイではなく「His Queen」。
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纏まったようでちっとも纏まらなかったけど、「サーセイからすべてを奪う美しき女王」の候補として有力視されていたデナーリスとサンサの顛末の対比に本シリーズのメッセージと醍醐味が詰まっていたように思います。
輝かしい物語に彩られながら、その根本は自身の中の善だけを信じて変われなかったデナーリスと、とにかく目まぐるしい状況の変化と周りの大人たちから学び、スターク的な善にとらわれずに変化し続けたサンサ。
2人の対比、そして生き残り次世代を担う面々から感じ取れるのは「学び、変化しながら生きる事」についての物語だったのではないかということ。
思っていた以上に、美しくまとまったなと思います。
(いや、いろいろと積み残している伏線とかはあるんですけどね…)
とりあえずキャストとスタッフの皆さんお疲れ様でした。
そして我々は、きたるスピンオフ(ナオミ・ワッツ主演!ターガリエン家か?)の配信を楽しみに待ち続けましょう。
↓↓シーズン8<最終章>各話感想↓ ↓
※画像は全てimdbより引用