Everything is Illuminated

面白かった映画と海外ドラマの感想を気ままに綴るブログです。

「ペーパーハウス」シーズン3(ネットフリックスオリジナル/海外ドラマ) 感想 ~情熱の赤とダリのお面を纏った、愛に生きる強盗団【おすすめ度:★★★★】

NETFLIXでもっとも視聴された非英語圏ドラマとして絶大な人気を博したシーズン1・2に続き、シーズン3がリリースされた「ペーパーハウス」。
スタイリッシュで人間臭い最高の犯罪ドラマの新章が幕を開けます。
今回も最高ー!!

 

★ペーパーハウス シーズン3

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メインクリエイター:アレックス・ピナ(Alex Pina)
キャスト:ウルスラ・コルベロ(ÚrsulaCorberó)、アルヴァロ・モルテ(Alvato Morte)、アルバ・フローレス(Alba Flores)、ペドロ・アロンソ(Pedro Alonso)、Itziar Ituño

 

◆予告編◆

www.youtube.com

 

◆あらすじ◆

あのスペイン王立造幣局襲撃事件の後、散り散りになってその後の人生を謳歌していた強盗団の面々。
しかし、リオが捕まったことをきっかけに、彼らが再び集結するー。

 

◆感想◆
※シーズン1・2のネタバレをしています。
※シーズン3についてはほぼほぼネタバレしていません。

シーズン3に入る前に、シーズン1・2の感想とキャラ紹介はこちらをどうぞ。
全22話で一つの強盗計画を描いた、スペイン製のドラマシリーズです。

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こちらの記事でも書きましたが、このドラマシリーズのオススメポイントは、

1、一癖もふた癖もある美男美女揃いで人間臭い強盗団メンバー

2、ピンチも全て織り込み済み!?教授の完璧な強盗計画と、なりふり構わぬ遂行ぶり

3、強盗ものの鉄則を抑えた、スタイリッシュでちょっとエモい映像

4、少しづつ計画を崩していく、強盗と人質それぞれの恋愛模様

と、「アマチュア犯罪集団」「色恋事情が絡む」といった、ともすれば嫌われそうな要素が強いながらも、二転三転する物語と魅力的なキャラクター像がそれ以上にせり上がってくる脚本・演出の上手さ、そしてその色恋事情に厚みを持たせる華やかなキャスト陣の魅力が何よりの見どころです。


今回のシーズン3は、強盗計画完遂後、散り散りになって逃亡生活を送っていた強盗団が、ある目的のために再び集結する所からスタート。
その目的とは、トーキョーと恋仲となり2人で楽園生活を送っていたさんか、身柄を捉えられ拷問を受けているリオの救出。
リオを失って教授に助けを求めたトーキョーは、彼の声掛けで集まったかつての仲間、ナイロビ、ヘルシンキ、デンバー、そしてデンバーと恋仲となり子供も生まれたモニカことストックホルム、教授と共に生きるために警察を裏切って仲間となったラケルことリスボン、彼らにリオの救出に協力するよう訴えかけ、彼らもその声に答えます。

前回から引き続きの部分も多くありますが、今回のシーズン3の大きな見どころはこの5つ!

1、造幣局内からスペイン社会へと舞台を広げ、反体制派のアイコンへと変わったダリのお面の強盗団
前作でただただ「カッコいい」という印象だった、強盗団のメンバーが愛用するダリのお面は、社会の決定権を握り、裏で悪事を働く国や政府に対抗する彼ら強盗団を「反体制派」の象徴として押し上げるアイコンとなり、そうした民衆の力を借りた「劇場型の犯罪チーム」として今回の彼らは動く事になります。
スペイン銀行の中での出来事と、その影響で国民がどう自分たちを受けとめ、彼らがどう行動するのかまでを計算した教授の計画。
自らを義賊的に演出することで強盗の舞台となるスペイン銀行外に“同士”を増やし、リオ救出に向けて世論を動かし、さらには「なぜスペイン銀行を狙うのか」という「本当の狙い」も正しくその計画戦上にあるという構造の上手さは相変わらず。
もともとシーズン1・2でも「血を流さず、誰のお金も盗まず、大衆を見方につける」という信念を持っていた教授の計画の元にアウトロー的なメンバーが集結しているからこそ、この方向性の発展も非常にうまくいっていて、より「彼らの仲間になりたい!」と思える魅力が増しています。

 

2、既存キャラの掘り下げが泣ける!愛に生きる激情型のメンバーたち

シーズン1・2の群像劇感が好きな方は、もしかしたらそこが少し薄れた事を残念に思うかもしれませんが、今回のシーズン3は既存キャラの掘り下げを大切にしていたと思います。
そもそも、これだけ「愛に生きる」ことを肯定された犯罪ドラマも珍しい。
普通であれば「強盗計画中なのに色恋にうつつを抜かせて、計画を混乱させて、あいつ何やってるんだよ!」と思うかもしれませんし、事実チラチラとそう思う瞬間もなくはなかったシーズン1・2。
ですが、観終わって思ったことは「人を愛すること以上に大切なことなんてあるのか?」ということ。
普通であればイライラ要素になりがちなこのエッセンスが、なぜ反対にこれだけ物語を豊かなものにしているのか?
それこそ、スペイン出身の彼ら俳優陣の根っこに流れる豊かな情、激しい情、そうした体の底から湧き上がるものの魅力なのではないかと思っています。
情熱の国・スペイン制作のドラマだからこそ出来るオリジナリティじゃないかなあ。

今回、メンバーの中でも特に切ない背景を持つナイロビの魅力が輝いていたのは言うまでもありません。
過去の失敗から人生をやり直すための計画、そして出会ってしまった叶わぬ恋、未来への希望の矢先に起きた不幸。
快活でかっこいい姐御肌の彼女が背負う後悔の念、そして深い愛情に涙するしかありません。

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3、強敵アリシア・シエラ現る

シーズン1・2のラケルと警察組織は正直有能とは言い難く、それは強盗団の計画が遂行されていく心地よさを重視した結果のものではありました。
しかし、シーズン3の敵は強い!
妊婦でありながら、いくらでも拷問を仕掛け、アメとムチを使いこなして精神的に追い込む女交渉人アリシアの容赦なさ。
彼女は、アメ玉を転がしながら教授との会話をコントロールしていく余裕っぷりや、単純にキャラクターとして目を引くぐらいに華のあるビジュアル造形(ポニーテールが決まってる)など、とても魅力的なキャラクターになっています。
しかし!
まじで教授やナイロビへ与えた精神的苦痛は許すまじ…。
どこか大きく相手を包み込むような母性を感じさせながら、一抹の情もなく相手の弱点を鋭く突き刺しに来るえぐさとのバランスが素晴らしいキャラクターです。

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4、「スペイン版 笑ってはいけない」!?教授のなりふり構わない頑張りぶり

シーズン1・2でも見どころだった、施設外から強盗団に指示を出す教授のなりふり構わなさがさらにエスカレート。
本当に、事件の黒幕にあたる存在がイケメンで色男でそしてお笑い担当って、キャラクター設定が盛りすぎだと思うのですが、それさえも軽やかにこなしていくアルヴァロ・モルテさんの魅力が今回もまた詰まりまくっています。
天才なので機転は回るんだけど、実行するときには緊張でぷるぷるして挙動が可笑しくなってしまうという美味しすぎるキャラクター設定。
私はシーズン1のときにころっと教授というキャラクタ―と演じるアルヴァロ・モルテさんが大好きになってしまいましたが、相変わらずシーズン3でも素敵です。

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5、スタイリッシュな映像、テンポの良い編集もパワーアップ!

映像のセンスはシーズン1・2でも見どころの一つでしたが、シーズン3ではさらにパワーアップ。
今回、前作で亡くなってしまったベルリンを登場させるという狙いのもと、「あの造幣局強盗とこのスペイン銀行の強盗、どちらも事前にベルリンと教授との間で話し合われていたものだった」とする回想シーンが登場します。
強盗事件の狙いをより深めるための「教授の解説(お勉強会)シーン」が適宜挟まれる演出なども引き続き健在で、いくつかの時制が混在する、ともすれば混乱を招きかねない構成となっていますがそのあたりもうまく捌いていた印象。
音楽のセンスの良さも相変わらずで、やはり銃撃シーンの魅せ方やここぞという場面での映像との合わせ方やテンポの良い編集に見入ってしまいます。
今回の見せ場の一つである「金塊のプール」という奇想天外な強奪アイディアも、ビジュアル的にめちゃくちゃ新鮮で素晴らしかった。

 

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トーキョーも相変わらず小悪魔美女。その髪型似合うの貴方だけです。

 

全8話と少な目の話数で終了したシーズン3はかなりのクリフハンガーで終了しており、シーズン4更新決定はおそらくもうすぐ発表されるのではないでしょうか?
ラストにアリシアがもたらした二つの精神攻撃が、彼らの中に「復讐心」を植え付けてしまったのではないでしょうか…?

配信は・・・恐らく1年半後ぐらいかな?楽しみに待ちましょう!

 

※画像は全てimdbより引用

「トイ・ストーリー4」感想 ~変化し、成長してきたシリーズの到達点【おすすめ度:★★★★】

素晴らしいエンディングで締められた「3」からの、まさかの続編の登場。

子供の成長のように時代と共に変化してきたおもちゃたちの“生き様”を描くシリーズ第4作。

★トイ・ストーリー4

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監督:ジョシュ・クーリー

声のキャスト:トム・ハンクス、ティム・アレン、アニー・ポッツ

 

◆予告編◆

 

◆あらすじ◆

ウッディたちの新しい持ち主・ボニーの今一番のお気に入り、フォーキー。フォークやモールでできたフォーキーは自分を「ゴミ」だと認識し、ゴミ箱に捨てられようとボニーのもとを逃げ出してしまう。フォーキーを連れ戻しに行ったウッディは、その帰り道に通りがかったアンティークショップでかつての仲間ボー・ピープのランプを発見する。一方、なかなか戻ってこないウッディとフォーキーを心配したバズたちも2人の捜索に乗り出すが……。

 

◆感想(ネタバレあり)◆

ちょっと白状すると、「1」「2」はいつぞやテレビで放送していた時に見たきりで内容を鮮明には憶えていません。
世間では「シリーズへの思い入れによって受け取り方が違う」と言われていたりしますが、そんな状態でも「3」のオープニング&エンディングには、嗚咽をもらすほどの大号泣。
そして迎えた「4」は…やっぱり嗚咽をもらすほどの大号泣でした。

 

そもそも「3」が私に刺さったポイントというのは、「2」までの持ち主であったアンディが成長しおもちゃを手放すタイミングを実際の年月の経過に合わせて狙い(=「2」までを見ていた子供たちがアンディと同様に大人になる頃を見計らって制作し)、ボニーへの継承というイベントを通して「おもちゃの役割とは何なのか?」という事をより一般化して刻み付けた脚本の素晴らしさでした。
アンディの成長と同様にウッディが、そして作品自体が大人になっていく変化と成長の過程を目撃した気がして、あまりに想像の先を行く成熟した制作陣の考えと描き方に心を揺さぶられたわけです。

 

そこにまさかの続編登場…!
シリーズへの思い入れという意味ではそこまでではなかったものの、正直あの完璧すぎる「3」の後に続編を敢えて作る必要性を、鑑賞前まで見出しきれずにいました。

 

…ありましたよ、「4」を作らなくてはならない意味が。
このブログでは、完全に「賛成派」としての感想を書いていきます。

1、作品自体が変化し成長していくシリーズ

そもそも私は、「トイ・ストーリー」をそこまで“おもちゃたちの話”として見ていません。
ピクサー作品が描くのはいつも、それがモンスターであれおもちゃであれ、私たち人間に置き換えても通用する物語ばかり。
近年の作品の中で最も好きなのは「モンスターズ・ユニバーシティ」なんですが、この作品は「やりたい事では輝けなくても、その傍にあなたの輝ける場所があるかもしれない」という、残酷さと希望を持ち合わせた人生を描き出します。
追いかけてきた夢の実現とはすこし角度の異なる所で芽生える幸せな人生の可能性、それを描いて見せた、まさに私たち悩める現代人への賛歌のような物語です。


では「トイ・ストーリー」はどうかというと、それは「自身の役割とは何なのか?」を問い続ける物語ではないでしょうか?
「1」で、自分がおもちゃだという現実を叩きつけられながらも、それを受け入れ、全うしようとしたバズ。
「2」で、展示品となって未来永劫愛されるのか、それともおもちゃとして子供を楽しませるのかという選択を迫られ、迷いながらも後者を選択したウッディ。
「3」で、アンディの元を去っても、別の子供にとってのおもちゃとしての役割は続いていくんだと受け入れ、一歩を踏み出したウッディ、バズ、そして仲間たち。
そうやって時を経て、時代も持ち主も変わる中で、ただただ「おもちゃの役割と誇りはこうだ!」と同じ地点に居続けるのではなく、少しづつ移りかわり、大きな視点で考え、変化し、成長してきたシリーズ。
よくよく考えると、「4」が描いたメッセージは「3」のそれをもう一歩推し進めた、完全に地続きの物語のように思えます。

 

2、ウッディは「おもちゃとしての役割・誇り」を捨てたのか?

鑑賞済みの方々の間でちょっとした論争になっているこの視点。
これまで「おもちゃとしての役割・誇り」として、どんなときも子供のそばに寄り添い、その子が嬉しい時は一緒に喜び、悲しい時は慰めてあげるといった事を仲間たちに説き続けてきたウッディがボーと共に旅立つという結末は、確かにそうした役割や誇りの放棄のように見えるかもしれません。
だけど、私はそうは思いませんでした。
「3」でおもちゃという拠り所を卒業して大人になったアンディから、ボニーという今おもちゃの存在を必要としている子供のもとへと移っていった「変化」と同様、ボニーの新しいお気に入りであるフォーキーにおもちゃとしての誇りを受け継ぎ、おもちゃとして子供に愛され役に立ちたいと願うギャビー・ギャビーの背中を押したウッディは、特定の子供に所有されずもっと広い世界に飛び出していきます。
でも、移動遊園地のテキヤで子供たちがおもちゃを手に入れられるようにサポートするその姿からは、「多くの子供たちと、最愛の存在になるであろうおもちゃとの出会いを作る」という事へ自身の役割を変化させていったように感じました。
「旅に出る」ということが単なる自由の獲得という意味ではなく、そうした広い世界の中でなら、自身の誇りや信念を「1対1」ではなく「n対n」という形に置き換えて貢献できる事に気づいての行動なのではないかなと。
そのウッディの選択に、私は涙を禁じえませんでした。

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3、メンターとメンティとしてのウッディとフォーキー
自身をゴミだと信じて譲らず、ちょっと目を離すとゴミ箱にダイブしてしまう先割れフォークで出来た新キャラ・フォーキー。
この、人生のフェーズ感の異なるキャラクターとの出会いは、既に「おもちゃとしての役割・誇り」を持っていたウッディにとって非常に大きな出来事だったはず。
大きくなってウッディへの興味がなくなり、フォーキーを最愛の存在とするボニー。
その事実に傷つきながらも、ウッディはボニーを想う心からフォーキーにおもちゃとしての姿を説き、誇りを持たせることに成功します。
この時のウッディには、「自分が輝くことだけが“幸せ”ではない」という、自分ひとりの幸せより一段大きな「全ての子供とおもちゃの幸せ」という概念が頭をよぎったのではないでしょうか?
そして、それってウッディにとっての成長ではないでしょうか?

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4、最高の悪役でありヒロイン=ギャビー・ギャビー
そんなウッディの元に現れるアンティーク人形のギャビー・ギャビー。
個人的には、彼女の苦悩にぼろぼろ泣かされました。
ただただショップオーナーの孫娘ハーモニーの傍に居たくて、初期不良品として手に入れられなかった「声(再生機)」を探し求めるギャビー。
ガラス棚の中で、その日を待ちわびながらお茶会の練習をする姿を、フォーキーを通して見せる演出はさすがの一言。
ウッディの努力はもちろん、そうしたギャビーのピュアな想いがフォーキーにも伝播していく様を通して、ウッディ個人が最終的にもっと大局的な部分に乗り出していく過程が個人的にはとても良かったと思っています。

結局再生機を手にしたものの、ハーモニーに気に入ってもらえずに失意に陥るギャビーでしたが、ウッディらのサポートを受けて、別の迷子の子供を救う事に成功します。
ここを、「結局初期不良品のままではだめで、正常になったから成功したようにみえる」とおっしゃる意見も見かけましたが、どちらかというと「もともと持っていた「こどもの傍にいたい」というピュアな願いを実現するために、仲間のサポートのもと、一歩踏み出す勇気をふるった」ことが彼女の成功の真理だと思います。
そうした思いがけない出会いの中にも子供とおもちゃの幸せな巡り合わせがある、ということもまた、ウッディの心に刻まれたのではないでしょうか?

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5、現代的なヒーロー・ボー

「4」で何よりも素晴らしかったのがボーの存在、そして描写!
現代的な感覚を持ち、ウッディの先を行く開拓者としての彼女の格好よさ。
陶器の肌の質感の豊かさ(とアップ描写の多さ)に、制作陣の執念を感じます。
もともとはバルーンスカートだったものを2WAYで利用したマントの見せ方も素晴らしい。
あの頃と地続きで、彼女は元からヒーローだった。
そんな彼女がけん引していく、持ち主を持たないおもちゃたちの世界の魅力。
さまざまな価値観に触れ、ウッディの背中を押す存在として最高すぎるキャラクターでした。

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こうした大きな物語を描きながら、「お父さんは刑務所」とか、ハイタッチしてもらえないコンバットカールとか、飛べないバイク乗り・デューク・カブーンの最初で最後の跳躍とか、挟み込んでくるネタのキレの良さも相変わらず圧巻。

バズの出番が少なかったり、おもちゃたちが動きすぎだったり(さすがに気づくでしょ)、そうした部分での不満がないわけではありませんが、個人的にはさすがピクサーという信頼を深めるシリーズ最終作(?)でした。

 

全国公開中。

 

※画像は全てimdbより引用

「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」感想 ~私たちは皆「ベン叔父さん」だった【おすすめ度:★★★★】

「アベンジャーズ エンドゲーム」後、MCUフェーズ3のラストを飾る「スパイダ―マン」シリーズ最新作。

 

★スパイダーマン ファー・フロム・ホーム

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監督:ジョン・ワッツ

キャスト:トム・ホランド、ゼンデイヤ、ジェイク・ギレンホール

 

◆予告編◆

www.youtube.com

 

◆あらすじ◆

夏休みに研修旅行で欧州へ行くことになったピーターは、思いを寄せるMJに告白しようと計画していた。しかし、最初の目的地・ベネチアに着くと、そこに水を操るモンスターが出現。混乱に陥るベネチアだったが、突如現れた謎のヒーロー・ミステリオが人々の危機を救う。ニック・フューリーらとも連携して未知の敵“エレメンタルズ”と戦うことになったミステリオ。ピーターもそのミッションへ参加することになるのだが…。

 

◆感想(ネタバレあり)◆

 

これまでのスパイダーマンシリーズは、「高校生役なのに演じるのは30歳ぐらいの俳優」という点で、描く心理や内容がどこか「私達と同じ大人たちのもの」として見ていた部分があります。

ヒーローとしての責任とMJやグウェンとの恋との間で悩むのはどのピーター・パーカーにも共通だけど、これまでの2シリーズはどこかもっと「ヒーローの人生って辛い」という要素を感じていました。

それはそれで好きな部分。

トビー・マグワイヤのピーターは「大いなる力には大いなる責任が伴う」という台詞を背負い続けるナイーブさに満ちていたし、アンドリュー・ガーフィールドのピーターは本人のそもそも持ってるシックボーイ感に上塗りするかのようにグウェンを失うという辛すぎる事件のせいで、今最初から見直しても結末を思い出して辛くなります(エマ・ストーンのグウェンは至高)。

 

だけど、トム・ホランドという若く、陽性の魅力が強いフレッシュなキャストを抜擢した時点で、MCUにおけるスパイダーマンがどういう存在かはある程度刷新され、新しいコンセプトが出来ていました。

それは、アイアンマンのフォロワーであり、キャプテン・アメリカのファンであり、彼らに認められたい、彼らのようになりたいと願い奮闘する等身大の高校生、ピーター・パーカー。

初登場が単独作ではなく「シビル・ウォー」であり、今回の作品に行く前に「インフィニティ・ウォー」「エンドゲーム」を挟んだことで、そうした先輩ヒーローたちの存在を追いかける者としてのピーターのキャラクターは醸成されていました。

トム・ホランドの演じるピーター・パーカー=スパイダーマンは、アイアンマンやキャップに憧れ、コスプレをする子供たちを代替するような存在でもあるんです。

 

だからこそ「ファー・フロム・ホーム」は、そうした偉大なメンター達を失ったピーターが初めて経験する試練であり、大人の階段を登る話であり、ヒーローとしての自分はこの先どうありたいのかを受け止め始める物語。

正しく青春映画であり、観る人すべてを「ベン叔父さん」視点に変えてしまう魔力を持った傑作になっていました!

そして、MCUの次なるフェーズへの布石も…

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1、新しいメンター候補=ミステリオとの対峙

正義のために身を削りながら戦う新しいヒーロー・ミステリオ。

ピーター達の前に突如登場した未知の敵・エレメンタルズを一人で撃退するその姿、自分の悩みを傍で聞いてアドバイスをくれる信頼にたる姿、そして何よりも「眼鏡をかけたらトニー・スタークにそっくり」というどうやっても彼を重ねざるを得ないその風貌に、ついつい心を許し、そして自身でその重みを背負う事を拒否してトニーからの贈り物であるイーディスを渡してしまったピーター。

その失敗が招いた事態こそ、彼が大人の階段を登るための試練でした。

 

正直ね、あのジェイク・ギレンホールがミステリオな時点でどこかで裏切るだろうという事は分かっていたんですが、「…そこでかー⁉」という素晴らしいタイミングでのネタバラシ、そしてネタバラシ以降のあまりに活き活きしたジェイク・ギレンホールの演技にテンション上がらないわけがなかった。

ほんと、顔も何も変わっていないのにあの時点からガラっと表情が変わるし、ギラついた目つきが癖になるし、野望が表情に滲み出すぎていて、こういうアドレナリンの出すぎた役柄を演じる時のジェイクの煌めき方は本当に凄い。

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しかし、ミステリオという役柄については、本当に拗らせの塊で切なく哀しいキャラクターなんですよね。

あれだけ憎悪を持っていたはずのトニー・スターク=アイアンマンと同じような面影をピーターに感じさせる風貌の寄せ方。

その鋼鉄の装備も、手から発される力を活用した攻撃も、その飛行のフォームも。

ピーターにそう感じさせ心を開かせる事が狙いなのだとしても、自分を貶めた憎き人間の影響下に置かれてしまう切なさ、哀しさは、ミステリオをただのヴィランにおさまらない人間臭い魅力を持ったキャラクターに仕上げていたと思います。

そして、自身の死をもってその狙いの全てを完遂する悪役というのもまた最高。

敬愛から憎悪に変わったトニー・スタークへの復讐を、その愛弟子を貶める事で成し遂げるって、段々二次創作みたいになってきたけどまさにミステリオが考えそうだなあという納得感がありました。

 

そんなミステリオやエレメンタルズ(という名の拡張現実とVRを使った仮想敵)との闘いのシーンは、縦横無尽なカメラワーク、奇想天外なスパイダーウェブ活用術など、アイディア満載の素晴らしいアクションシーンになっています。

特に拡大解釈気味な拡張現実に襲われるピーターのシーンはこれまでのシリーズにはないフレッシュな演出だったし、その仮想敵の中に入り、内部構造を破壊していく描写なども非常に面白い。

拡張現実に翻弄されていたピーターが最後、「ムズムズ」とメイおばさんに呼ばれる内なる感覚を発揮して“本当のミステリオ=クエンティン・ベック”を捉えるという展開は、「メンター」という存在にある意味甘えていたピーターが自身の力で試練を乗り越え、そして自身の力ですべきことを成し遂げるという最高のエンディングでした。

 

しかしね、エンドロールで驚愕の事実が明かされるんですよ…

 

確かに、ミステリオらのチームが作った仮想敵がいくら電磁波や破壊をコントロールしていたとしても、さすがにシールドがあっさりそれに騙される事には違和感があったんですよね、そしてその拠点のチープさにも。

そんな違和感を颯爽と回収していくとは!そうか全て織り込み済みだったんですね…。

ミステリオによって名前も明かされ、そして彼の殺害の容疑者としてのイメージを植え付けられてしまったピーター。

果たしてMUCフェーズ4はどうなる…!?

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2、MJとの恋が可愛い。とにかく可愛い。

初期シリーズのキルスティン・ダンストのイメージがとにかく強いMJ。

ゼンデイヤのMJは、その風貌も、キャラクターも、全てを刷新して差別化していましたが、正直前作「ホームカミング」ではその魅力が伝わりきっていないと思っていました。

というか、伝わりづらいんですよね、皮肉屋で内気でちょっと変わり者だから。

だけどそこで積み重ねてきたものが、今回の作品でぱーっと華開いたかのように、2人のケミストリーが炸裂した事がとても嬉しかった。

キルスティンが演じるMJとトビー・マグワイヤが演じるピーターとの恋も、エマ・ストーンが演じるグウェンとアンドリュー・ガーフィールドが演じるピーターとの恋も、圧倒的にMJ/グウェンの地位が所属するコミュニティ内で高すぎて、ヒロイン側の努力というか、ヒロイン側がピーターに近づこうとする道筋が見えづらかったんですよね。

(それはそれで上記2作品は好きです。高嶺の花)

だけど、ゼンデイヤ演じる皮肉屋で内気なMJが「私はあなたを見ていた」という告白、「私だけはあなたがスパイダーマンだって分かってた」という事実は、ピーターの恋ではなく「二人の恋」を応援せざるを得ない愛しい気持ちを巻き起こさせる力がありました。

もうね、観客みんな親心。お見合いをセッティングしたような気持ち。

本当にこの2人のカップル最強すぎるので、幸せになってほしいです。

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3、私たちは皆「ベン叔父さん」だった

今回のMCU版スパイダーマンは「ベン叔父さんが既にいない」事が何よりも前2シリーズと異なる点であり、非常に重要なポイント。

つまり、ピーターを導き、ピーターを見守り、ピーターを愛するベン叔父さんは、観客そのものであり、そしてその役割を少しづつ皆が分け合っているんです。

親心と愛情を惜しみなく捧げるメイおばさん、父親代わりの背中を見せるハッピー、ピーターを引き上げるメンターとしてのアイアンマン。

ピーターの周りの大人たちの良い部分は、全てベン叔父さんの要素を分け合って持っている部分であり、ピーターを愛する観客の心もまたしかり。

それを一番体現するハッピーの存在が大きくフィーチャーされた今作で、その事をより強く体感しました。

 

そんな最高の青春映画「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」は全国公開中です。

 

※画像は全てimdbより引用

「X-MEN ダーク・フェニックス」(映画)感想 ~X-MEN20年の完結を背負ったソフィー・ターナーを称えたい【おすすめ度:★★(+★)】

20世紀フォックスがディズニーに買収されるという、映画業界史上最大級のニュース。

見え隠れする“大人の事情”に振り回されたシリーズの“完結編”は、長きに渡るシリーズにおいて「何をみてきたか」「どの時代に思い入れがあるか」によって、相当評価が分かれる作品となりました。

 

★X-MEN ダーク・フェニックス

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監督:サイモン・キンバーグ

キャスト:ジェームズ・マカヴォイ、マイケル・ファスベンダー、ジェニファー・ローレンス、ニコラス・ホルト、ソフィー・ターナー、タイ・シェリダン

 

◆予告編◆

www.youtube.com

 

◆あらすじ◆

大統領とのパイプラインもしかれ、その活躍ぶりから“スーパーヒーロー”とさえ呼ばれるようになり、もはやかつての迫害の気配は消え去ったかと思われたX-MEN。

しかし、とある宇宙での飛行士救出ミッションで一人逃げ遅れたジーン・グレイは太陽フレアを浴び意識を失ってしまう。

無事地球へと戻ったジーンとX-MENたちだったが、その事故のせいでジーンの心の闇の中に眠っていたもう一人の人格「ダーク・フェニックス」が覚醒してしまい…。

 

◆感想(軽いネタバレあり)◆

冒頭でも述べた通り、とにかく「X-MENに何を見出していたか」によって、相当評価が分かれるであろう作品。

大前提として、シリーズであるはずの前作、前々作などとの整合性は破綻しているので(これはもうこのシリーズのお決まりになりつつありますね)そこが気になってしまう方はおそらく全然受け入れられないのではないでしょうか。

正直、他にも細かくマイナス点をあげていけばキリがありません。

キャラクターの一貫性が失われていたり、そもそも動かし方が脚本上の装置的な扱いになっているキャラクターがいたり。

極めつけは「大団円になっていない」こと。

ただこればかりは、ディズニーによる買収によってアベンジャーズ本体への合流をさせる必要があるために現行シリーズを打ち切らなければいけなかったという超絶大人の事情もあるはずで、現行シリーズの制作陣に文句を言ってもしょうがない部分も多少あるのではないかと思っています。

買収前から完結編の想定だったのか、買収後の決定なのかはわかりませんが、本作がなんともいびつで評価しにくい作品になってしまったのは認めざるをえません。

 

それでも私が本作を擁護したいのは、この新世代キャストによるシリーズが、アメコミ映画というジャンルにおいてここまで「演技力」で魅せるシリーズとなったこと、そしてそのキャストたちがシリーズを重ねるごとに成長し、力をつけ、ブレイクしていく姿に物凄く魅力を感じてしまっているから。

そして、虐げられ拒絶されてきたものの苦しみと許しというジーン・グレイが本作で体現する物語は、まさにX-MENシリーズが描き続けてきた物語の根幹であり、それを若手女優ソフィー・ターナーに委ねた姿勢にもまた、物凄く魅力を感じています。

 

思えば、新世代キャストで始まった「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は紛れもない傑作でした。

 

1962年のキューバ危機という歴史的事実を背景に、その裏にはミュータントたちの抗争が巻き起こっていたとする脚本構築のあまりの上手さに舌を巻き、そしてジェームズ・マカヴォイ、マイケル・ファスベンダー、ジェニファー・ローレンス、ニコラス・ホルトという若手キャストのミラクルなケミストリーに、「X-MEN、やるなあ」と思ったものです。

チャールズ・エグゼビアとエリック・レーンシャー、根本は同じでありながらも、「どうあるべきか」において意見を異にし、道を違えていく在りし日の兄弟のような男2人の友情と別離を、あそこまで鮮明に描いた作品はなかなか他に思い浮かびません。

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しかし「~フューチャー&パスト」「~アポカリプス」と、個人的には「~ファースト・ジェネレーション」を(全く)超えられない作品が続き若干トーンダウンする中で、それでも本シリーズを見逃すことができない大きな理由は役者たちの成長と飛躍でした。

円熟味を増してオリジナルシリーズのパトリック・スチュワートとイアン・マッケランに近づいていくジェームズ・マカヴォイとマイケル・ファスベンダー、そしてオリジナルシリーズとは違うキャラ造形ながら有無を言わせぬ説得力をみせるジェニファー・ローレンス。

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さらにタイ・シェリダン、コディ・スミット=マクフィー、そしてソフィー・ターナーという、「オリジナルシリーズの人気キャラの若かりし頃」として登場した3人もまた、その面影も持ち合わせつつフレッシュで彼らなりのスコット・サマーズ、カート・ワグナー、ジーン・グレイを作り上げていたと思います。

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だからこそ、その中でソフィー・ターナーにここまでフォーカスしてシリーズ約20年の集大成をゆだねたサイモン・キンバーグの決断と、それに答えたソフィー・ターナーの渾身の演技にはぐさぐさ心を揺さぶられました。

「ゲーム・オブ・スローンズ」でずっとソフィーを見ている身としては、ほんと演技上手くなったな…と感嘆せずにはいられません。

あの美貌とあの貫禄は女優として掴みとった武器であり、それをジェームズ・マカヴォイ、マイケル・ファスベンダー、そしてジェシカ・チャステインと並んでも引けを取らない存在感として臆せず出し切る姿には本当に涙が出そう。

本作はオリジナルシリーズでジーンを演じたファムケ・ヤンセンが持つ雰囲気では成立しない物語で、ソフィー・ターナーが演じるジーン・グレイだからこその説得力がありました。

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ただ、物語がジーン・グレイに寄せきった事で、「物理的なX-MEN全体の闘い」を求めていた大多数の人の見たかったものにはなっていないのだろうし、整合性をとらずにきたシリーズ全体のつけが最後の最後に最も大きく出てしまったという事は事実。

なので、世間が本作を酷評する気持ちもわかるし、事実脚本としてはもうちょっとどうにかならなかったのかね?という点もいっぱい指摘したい。

ただ、それでも嫌いになれない、そっと包み込んであげたい作品です。

 

全体的にアクションはかなり良かったなあ。

特にクライマックスの列車での一大バトルシーン。

磁力を操るマグニートーが魅せる無双っぷり、X-MEN同士の連携プレー、「走る列車の中」というダイナミックで躍動感ある舞台設定も活きていて、アクションが地味目な本シリーズにおいてはなかなかに見応えのあるシークエンスでした。

 

今後またキャストを刷新してアベンジャーズ本体へ吸収されていくのであろうX-MEN。

いびつな纏め方ではありましたが、X-MENの約20年間で描いてきたテーマを「ジーン・グレイを描くこと」を通して貫ききった初志貫徹ぶり、好きですよ、私は。

 

「X-MEN ダーク・フェニックス」は全国公開中。

 

※画像は全てimdbより引用

「ウィーアーリトルゾンビーズ」感想 ~絶望?ダッサ。人生の舞台はここにしかないんだから、クリアしながら生きていくだけ。【おすすめ度:★★★】

久しぶりの邦画鑑賞。

電通のCMプランナーで、短編映画「そうして私たちはプールに金魚を、」でサンダンス映画祭ショートフィルム部門で日本人初のグランプリを受賞した経験を持つ長久充監督の長編映画デビュー作。

 

★ウィーアーリトルゾンビーズ

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監督・脚本:長久充

キャスト:二宮慶多、水野哲志、奥村門土、中島セナ

 

◆予告編◆

 

◆あらすじ◆

事故や事件で両親を失った4人の13歳、ヒカリ、イシ、タケムラ、イクコ。

ひょんなことからバンドを組むことになった4人は、人生という名の冒険と音楽を通して心を取り戻していく。

 

◆感想(少しだけネタバレあり)◆

子供たちが世界と出会い、自分を受け入れていくまでの映画ってこれまでにも様々な傑作があったと思います。

私が大好きなのはこの3作品。

テラビシアにかける橋<プレミアム・エディション(2枚組)> [DVD]

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リトル・ランボーズ [DVD]

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怪物はささやく [DVD]

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この3本に共通しているのは、両親や近しい人の死、いじめなどの現実世界の苦悩から「逃げ込む場所」を持っていた子供たちが、少しづつその世界と現実とを繋げることを受け止め、その方法を見出し、一歩を踏み出すというお話である点。

その時、「逃げ込む場所」は空想の世界であったり、映画の世界であったりしますが、そこは映像的ギミックを凝らして表現されることで確固たる「別の世界」として存在し、だからこそその世界と現実とを繋げていく過程がドラマチックな成長物語として描かれるのです。

 

だけど、「ウィーアーリトルゾンビーズ」は違う。

ゲーム好きの主人公ヒカリは、両親を事故で失ってもゲームの世界に逃げる事はなく、そしてその世界と現実とを繋げることで成長するわけでもなく、現実の世界そのものをRPGゲームの世界として脚色し、攻略しながら淡々と生きている。

 

この「世界との向き合い方」の違いはどこから来るのでしょう。

もちろん、監督の作家性や原体験が大きいとは思います。

だけど、そもそも原体験として現実をこう捉えていた長久監督と、前述した3つの物語の創作者である海外の作家・監督との間には、もしかしたら国民性や時代性の違いもあるのかもしれません。

海外作品では「空想の友達」という存在が割と一般常識的なレベルで物語の中に登場するし、ある意味「現実の駆け込み先」としての「ファンタジー世界」をベースとした物語が市民権を得ている背景には、「現実」と同じくらい「空想世界」とそこに生きるキャラクターたちの存在に、共通認識としてのリアリティと存在理由があるのではないかと思います。

個人的には「宗教」と「神話」の存在の違いが大きいのでは?と思ったのだけど、このへんはちゃんと勉強してみたいな。

 

何はともあれ「ウィーアーリトルゾンビーズ」の主人公ヒカリは、ゲームの世界に逃げるのではなく、現実世界をゲーム世界的に脚色して攻略しながら突き進んでいきます。

 

貧しい人には、人に配る愛さえない。(ちょっと言い回し違うかも)

絶望?ダッセ。

エモいって、古っ。

デフォルトで孤独。

もうすぐエンドロールなのに何も思わないね。

 

そんなキャッチ―で刺さりまくる台詞の数々。

デフォルトで孤独なら、誰かと向き合うからこそ生まれる「感情」とかいうやつなんていらないじゃん。意味ないじゃん。

そうして13歳まで生きてきた無表情・無感情の4人は、両親の死という出来事が大ボスとの対戦となるはずもなく、曲が売れて大ブレイクしたってそれがエンディングになるはずもなく、ただひたすらに人生をコンティニューしていく。

凄く今っぽいというか、リーマンショック後の日本で「素晴らしい人生を夢見る」ということの無意味さを知ってしまった子供たちだからこそ、諦めでも達観でもなく事実としての最適解として「自分の人生の舞台はここにしかないのだから、ここで起こる事をクリアしながら生きていくか」とする生き方が、凄く今の日本の若者的で現実的な観方だなあと思います。

彼らが「感情」に出会うまでの話でありながら、「ヒカリ ハ カンジョウ ヲ テニイレタ」とかは出さない。

結論に着地しない、成長物語としてドラマチックに描かない、死をエンタメ化しない、その「エモいって、古っ。」を地で行くような物語と表現の先に、それでもエモくてたまらない彼らの人生が見えてくるのが非常に面白い作品でした。

 

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長久監督のCM出身監督らしいキャッチ―でギミックたっぷりな演出は、好みの分かれる所かもしれません。

個人的には、やりたいことはわかりつつもちょっとギミックによりすぎたかなあと感じる所はなきにしもあらず。

ただ、前述したように台詞のセンスが炸裂しまくっていて、脚本も手掛ける映像作家よりの監督として、なかなかに面白くて素敵な存在が登場したのは単純に嬉しいし、日本映画界で新人監督のオリジナル作品がこういった形で公開されるのは大歓迎。

「湯を沸かすほどの熱い愛」で長編デビュー作×オリジナル脚本ながら物凄い傑作を放った中野量太監督と同様に、今後も応援して行きたい監督になりました。

 

そして4人の子役がとても良かった!

主演のヒカリを演じる二宮慶太くん、やっぱり一人だけ飛びぬけて演技が上手くて、短調で一本調子の台詞まわしながら、絶望でも達観でもないヒカリの人生観をあの無表情な中から感じさせていてやはり凄い子役だった。

「そして父になる」の福山雅治の子供役のあの子です。

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特筆すべきはイクコ役の中島セナちゃん。

無表情、棒読み台詞、座りがちな目つき、ぶっきらぼうな物言い、醸し出すサブカル感。

なんでしょう、新時代のクイーンが出て来ちゃった感がありました。

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彼ら含む4人の掛け合いのテンポ感の良さも、本作の魅力の一つ。

(そこにするっと入ってこれる池松壮亮の凄さも合わせて伝えておきたい)

 

あと、忘れてはいけない楽曲の良さ!

中盤で登場する「♪ウィ~ア~、ウィ~ア~、リトルゾンビーズ」というサビのこの曲の耳への残り方。

 

「ない」ものを連ねるこの楽曲が、それでも絶望に満ちていないのが素敵。

絶望?ダッセ。

 

※画像は全て映画.comより引用

「スノー・ロワイヤル」感想 ~リーアム・ニーソン主演、映画版「笑ってはいけない〇〇」【おすすめ度:★★★】

平成のブチキレおじさんことリーアム・ニーソンの主演最新作「スノー・ロワイヤル」。

意外にもアクション要素は少なめで、まさかのスローで不謹慎なボケ倒しブラックコメディでした!

 

★スノー・ロワイヤル

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監督:ハンス・ペテル・モランド

キャスト:リーアム・ニーソン、ローラ・ダーン、エミー・ロッサム、トム・ベイトマン

 

◆予告編◆

 

◆あらすじ◆

リゾート地で除雪作業に努め、模範市民として町から表彰まで受けるような善良な男ネルソン・コックスマン。

しかしある日、一人息子のカイルが麻薬中毒で突然この世を去る。

麻薬には手を出していない息子の死を不審に思い調査を始めるネルソン。

死の真相を突き詰めるうち、悪名高いギャング組織に1人切り込んでいくことに…!?

 

◆感想(途中までネタバレありません)◆

オリジナルは、同じくハンス・ペテル・モランドが監督をつとめ、ステラン・スカルスガルドが主演を務めた「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車」

※凄い邦題…笑。

 

私は未見なのですが、監督も同じで、主演もリーアムにイメージの近いステラン・スカルスガルドが主演ということで、本作でどこをどうアレンジし直しているのかはちょっと気になるところです。

 

まず、昨今のイメージである「リーアム主演作=超絶リベンジアクション」というような作品ではありません

ここは予告編でもコメディ感を出しているところではありますが、それ以上にコメディ、しかもブラックコメディ寄りなので期待値ギャップがある方もいるかもしれません。

でも、リーアム=アクションのイメージが根底にある方が彼が演じるネルソンの役柄とのギャップに笑えるので、これまでの作品も履修済みという方は、それはそれで良いでしょう。

ちょっと殴り合いしただけで手が痛たたた…になってしまうリーアムに「そんなわけないでしょ」と一人心の中でツッコミを入れる楽しみがあります。

 

今回の作品、どちらかというと「クエンティン・タランティーノ×ウェス・アンダーソン」という掛け算のチャレンジな気がします。

タランティーノ監督の人の死の滑稽さを描く描写とそこまでに至るどうでもよさそうでそうでもない物語のテンポ感、ウェス・アンダーソン監督の様式美とシュールなユーモアの掛け算で生まれる箱庭感。

キャッチコピーの通り、勘違いと思い込みで事態が勝手に悪化していくという「まったく噛み合わない復讐劇」は、ともすれば悪趣味になりそうなところをリーアムが真ん中に立つだけでなぜかキリっと引き締まり、それでいていつもの殺人マシーンキャラとの落差が絶妙に気の抜けた感じを醸し出していて、なんとも独特の味わい。

 

これとこれを掛けた感じ!

 

場面転換の表現に遊び心が溢れていて、それがエンドロールまで貫かれるのがとても楽しいです(これは後ほどご紹介)。

 

※ここからネタバレあり※

 

 

そんな作品のテイストが、一番最初に感じられたのは息子の遺体との面会シーン。

「遺体は必ず頭部を手前にしていれること!」という本当にどうでもいい張り紙のクローズアップ(長め)。

息子の遺体が一番下の段に収容されていたため、キコキコと足でレバーか何かを踏んで目線の高さまで台をあげていくショット(異様に長め)。

そして、ゆっくりと下から登場する息子の鼻の先(と、キコキコ鳴り続けるレバーの音)。

カメラの写す範囲に息子が入るのを無言で待つしかないリーアムとローラ・ダーン(と、キコキコ鳴り続けるレバーの音)。

「あー、今笑ったら駄目なシーンなんだろうけどな、、、いやいや無理でしょ笑。」みたいな、観客を試すようなシーンが冒頭から登場します。

少し「笑ってはいけない〇〇」みを感じます。不謹慎!

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何を言っているか分からないかもしれませんが、完全に「笑ってはいけない」でした

 

そんな冒頭で本作のテイストを見せた後は、ひたすらのんびり且つテンポよくリーアムのギャング狩りを眺める2時間へ。

クラブへ乗り込み、息子カイルの死の直接的な原因となったギャング、通称“スピード”をあっさり殴っておさらば。金網で巻いて凍てつく川へ投げ捨てる(一度目)。

“スピード”から聞き出した名前を辿り、行きついたウェディングドレスショップのオーナー、通称“リンボ”を店内であっさり銃殺、金網で巻いて凍てつく川へ投げ捨てる(二度目)。

この「金網で巻いて川に捨てる」シーンが何度も何度も繰り返されるのですが、これがまたお決まりのシーンとして定着してくると、妙な達成感と不謹慎な笑いがこみあげてきます。

しかもこれ、「金網で巻くと魚が肉を食べるため遺体が残らない」という小説で読んだ知識を実践してみただけという笑。

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さらに、ご丁寧に退場してしまったキャラに対しては、その度にご丁寧に名前と通称、そして十字架マークが画面いっぱいに捧げられます。

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どことなくタラ監督やウェス監督の「第1章」みたいな章立てのカードを意識しているのかなと思っていましたが、後半に行くにつれてもはや殺しのシーンさえ写さずにこのご愁傷様カードが切られる出オチキャラも登場笑。

そして、ラストの打ち合いの後には、一人づつ出すのも面倒になったのか、画面いっぱいに12人分のご愁傷様カードが、綺麗に整理整頓されて掲げられるという有様笑。

 

最後エンドロールのキャストクレジットでは、画面いっぱいに主要キャストの名前が並ぶ中、「In Order of Disappearance」という通常と反対の手法で退場順にキャストの名前が雪になって舞い散っていくという非常に粋な方法で締めくくられます。

こういう様式美を2時間の中で観客に飲み込ませて、その応用で作品の魅力を作り出せるのはなかなか素敵ですよね。

 

そんな作品のテイストを理解してか、主要キャストもキャラ立ちさせることに全振りしたかのような演技を見せていてとても楽しい。

何も悪いことをしていない兄が殺されても、最後空からパラシュートで舞い降りてきた先住民の1人が除雪車でばらばらになっても(このオチの凄さ!)、ちょっと困り眉になるだけでその場が過ぎていくシュールさを醸し出せるリーアムの存在感。

リーアムの持つ真面目そうなイメージが、今回は「毎日せっせとギャング殺しに勤しむ」という方向に働いていて、味は活かしようだなあと感じました。

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そして最も世界観にあっていたのが、ギャングのボス・ヴァイキングを演じるトム・ベイトマン。

元妻には親権問題で上手に立たれ、部下には舐めた口をきかれ(禁止しているシリアルを部下たちが息子にあげていることも気づかない!)、拉致された息子も拉致生活を楽しんでいるという何とも情けないキャラを、アホなほど真っすぐ演じていて愛らしい。

基本的に本作で事態を悪化させているのは彼の勘違いと先入観と偏見でしたね。

それに一つも気づかずに突き進んでいく姿がまた可笑しくて。

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息子役の子もよかったですね。

あの母親に100%血を貰ったのであろう賢さと、除雪車にわくわくしちゃう少年心。

「お休み前にお話して欲しい…」と言って、良い物語本がなくてリーアムが除雪車ガイドブックの解説文を読むのを楽しそうに聞きいる姿が可笑しくて可愛くて。

ヴァイキングをおびき出すために誘拐したとはいえ、彼と絆をはぐくんでいくリーアムとのシーンはシュールでブラックな本作の中でもほっこりしていて好きでした。

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女一人でこの作品を観てクスクス笑っているのはそれはそれでヤバイかなとは思いつつも、劇場もくすくすムードだったので遠慮せずに楽しく鑑賞できました。

好きな人にははまるテイストだと思います。

 

 

「スノー・ロワイヤル」は全国公開中!

 

 

※画像は全てimdbより引用

 

「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」感想 ~世界で一番スケールの大きな「好きを仕事に」【おすすめ度:★★★】

「名探偵ピカチュウ」に続き、「好きを仕事に」をとんでもないスケールで実行してしまうハリウッドの次なる一作。

 

★ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

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監督:マイケル・ドハティ

キャスト:カイル・チャンドラー、ヴェラ・ファーミガ、ミリー・ボビー・ブラウン、チャールズ・ダンス、渡辺謙、チャン・ツィ― 

 

◆予告編◆

 

◆あらすじ◆

2014年の襲撃から5年、怪獣を極秘に調査していた秘密組織モナークは、世間からの追及・非難を受けていた。

そんな中、中国・雲南省の基地で怪獣たちとの交信装置“オルカ”を完成させたエマとその娘のマディソンらは、モスラの幼虫との交信に成功。

しかしそこにアラン・ジョナ率いる環境テロリスト集団が襲撃し、エマ、マディソンを拉致、オルカも奪われてしまう。

モナークの芹沢博士らは、元社員でエマの元夫、そしてオルカの試作機開発者であったマークのもとを訪ね、協力を依頼する。

嫌がるマークだったが、アランらの次なる急襲を受け、モナークに舞い戻ることに…。

 

◆感想(途中までネタバレありません)◆

※ゴジラや怪獣映画自体については詳しくないのであしからず。

 

昨今のハリウッド映画の「好きを仕事に」「好きこそものの上手なれ」な風潮。

それは一つに原作やオリジナルのある作品のリメイク・リイマジネーションの増加と、もう一つ、VFXの凄さで押し切れる時代を過ぎて「何を付与できるか」という点が差別化する上での重要な要素となったことで、作品への愛情・執念・思い入れの濃度が大切になってきたことがあるのかもしれません。

 

デジタル化によって映像制作の裾野が広がったことで、日本でも映画の製作本数はどんどん増えています。

さらにはNETFLIXなど配信で観る映画も増え、映画館で映画を観るべき理由がどんどん薄れてしまっている中、よりスポーツ中継や音楽フェスイベントなどのような「同じ時、同じ場所で熱量を共有する」ことの重要度があがり、その中心に位置するコンテンツとして「クオリティが高い」以上に「熱量が高い」ことが求められているのではないでしょうか。

 

あとはSNSのマーケティングプロモーションが大事な時代だからかな。

公式が発信を繰り返すのではなく、公式のコンテンツの中に宿る熱量やフックにファンが反応してその反応が波及していくことがヒットに繋がる時代。

「バーフバリ」とか最たるものですよね。

 

ここら辺は話すと長いので割愛しますが、最近だと「キングコング 髑髏島の巨神」のジョーダン・ヴォート・ロバーツ監督「名探偵ピカチュウ」のロブ・レターマン監督なんかが、好きで好きでしょうがない!という熱量が実績の有無を超えて評価され、起用された実例。

 

これは巨匠の作品ですが、「アリータ バトル・エンジェル」もジェームズ・キャメロン監督の20年越しの溢れんばかりの愛情がこれでもかと炸裂していましたね。

 

不思議なことに、作品の中に宿る制作者の「好き」という熱量は何よりも観客に伝わるんですよね。

そして鑑賞者側がうけとる「この作品を作っているのは、俺たちの仲間だ」「きっと幼い頃、自分と同じような夢想をしていたんだろうな」というような感覚は、作品を鑑賞する時間を「友達の夢を応援する時間」のような感覚に近づけてくれるのかもしれません。

 

本作のマイケル・ドハティ監督も、脚本家として「X-MEN アポカリプス」に参加している実績などはありますが、監督作品としての実績は微々たるもので、本当によく起用したなあと最初は思っていました。

ですが、インタビューなどを読むとそのゴジラ愛の深さに不思議と安心感が。

 

今回特に感じた「ゴジラ=神である」というメッセージとコンセプトは、監督が幼少期にテレビで「ゴジラ」を見た時から持っている原体験的な感覚が明確に反映されているんですよね。

アメリカでのゴジラ第1作公開時のタイトルがそもそも「Godzilla:King of the Monsters」であり、ゴジラは「God-zilla」であり、そこは予告編でもしっかりと拾われていましたね。

その「ゴジラ=神である」というコンセプトは、全編が浴びる宗教画のように、完璧に作りこまれた構図や色彩美として美しく荘厳に表現されています。

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※ゴジラはもちろん、美しく流麗なモスラ、悪魔的な飛行法をみせるラドン、西洋のドラゴンではなく東洋の龍をモチーフとしたキングギドラなど、登場する怪獣たちのデザインと造形がとにかく素晴らしく、「地球を人間から怪獣に返そう」というある人の言い分に恐ろしく説得力があった。

 

物語上その敬意がもっとも明確なのは、渡辺謙演じる芹沢博士の行動と言動でしょうか。

 

※ここからちょっとネタバレ有り※

 

ゴジラを安易に殺そうとする者たちに向ける目。

ゴジラとの共存を望む想い。

ゴジラを復活させるべく自らの命を懸けようとする姿。

 

深い海の底の古代都市に独り残り、眠るゴジラへと核を浴びせて呼び覚ます場面。

あのシーンは、ギャレス・エドワーズ監督の前作のみならず、これまでの様々なゴジラの映画化に対してきっと完全にはアグリーでないであろうマイケル・ドハティ監督自らの想いと夢が詰まった場面であり、核という人類の罪を背負いながら「神が復活する」様を描かんとする場面として、涙を禁じ得ない…。

それを、猪四郎という名前を関されたキャラクターが達成する、それを日本人俳優である渡辺謙に託すというあたり、監督のリスペクトが詰まっています。

 

 

そんなわけで、「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は監督のゴジラへの畏敬と愛情により、怪獣映画でありながら宗教映画となっていて、素晴らしいカットの数々によりなんだか絵画を眺めているような感覚になっているためだいぶ隠されていますが、人間側のストーリーと編集は正直かなり粗い(笑。

 

ですが、拉致されたと思っていたら、元から怪獣への殉教精神を貫いていたエマ博士の、浅はかながら説得力のある「地球を人間から怪獣に返そう」という考え、そしてそれを演じるのがヴェラ・ファーミガなのは最高。

彼女の、業の深さを感じさせる演技ってなかなか他にはいない魅力です。

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娘役ミリー・ボビー・ブラウンもよかった。

そして、このブログ的には外せないチャールズ・ダンス

「ゲーム・オブ・スローンズ」のタイウィン・ラニスターですね。

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70代にしてあのスタイリッシュさ、そして溢れ出る貫禄と貴品。

タイウィンよろしくな傲慢さ、そして怪獣たちにも負けないほどの顔力。

ラストの展開的に、続編にも出演確定な感じでこれまた楽しみです。

 

怪獣映画に詳しくない私がその愛情と熱量に歓喜するって不思議なことかもしれませんが、映画はあらゆるクリエイティビティの集合体だと思うと、その根底にある愛情や熱量までがクリエイティビティを通して感じ取れることに刺激を受けているのかもしれません。

 

「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は全国公開中。

 

※画像はすべてimdbより引用